ホーム > フェリス女学院の歩み > フェリス女学院の歩み > 関東大震災からの復興

フェリス女学院の歩み

関東大震災からの復興

カイパー校長の殉職
 1922(大正11)年、第3代校長ジェニー・M. カイパーが就任しました。1923年9月1日、まだ、夏休み中でしたが、新学期の準備のため早々と軽井沢の避暑地を引き上げ、カイパー校長は朝から学校で執務していました。11時近く、地方の女学校の教師になった卒業生の悩み事を聞き、祈り励まして見送った後、あの大震災に見舞われ、校舎の下敷きになってしまいました。カイパー校長は、瓦礫の下で身動きが取れず、何人かの力ではいかんともできませんでした。その内に火の手が元町から山手に回ってきました。助けようとそばにいた人々に向かって早く安全な地に逃げるように叫び、「御心がなりますように」という言葉を残して彼女は炎に包まれてしまいました。
 現在、当時のもので残っているものは、中高の中庭にある門柱の頭と、ヴァン・スカイック・ホールのNの字のみです。

校舎再建
 1923(大正12)年明治学院で当時教鞭を執っていたアルバート・オルトマンス博士が、臨時の校長として就任。当時の日本人教師の日記には次のように記されています。
 「一面の焼野原なので方角さえわからず漸く苦心の結果学校に辿り着きましたが、母校は見る影もない有様で、本門の側にマッチ箱位の仮事務所がありましたきり、他に家らしきものは何もありませんでした。
…初め日本人側の考えでは同窓会所持金のみで建てるつもりではございましたが、オルトマンス先生の発起により米国にも依頼することになりました。そうして後援会並びに同窓会の役員の名義により米国に依頼状を送りました」
 その結果、アメリカ改革派教会からは9,000ドルの寄付を得て、3万円ほどの資金をもとに仮校舎が建設され、翌年1月より授業が再開されました。4月、校長に就任したルーマン・J. シェーファーは復興計画を練り上げ、募金活動をおこし寝食を忘れてフェリス復興のために尽くしました。ちなみに、大震災の2年前の1921年、当時鹿児島で宣教していたカイパーがミッションの代表者としてフェリスの体育館の落成式に臨み、祝辞を述べました。その中で「人の手によって築かれた建築物は破壊されることがあるだろう。フェリス女学校は建物でなく、そこから出された卒業生こそ真のフェリス女学校を造るものである。即ち学校は立派な建物よりも人格を築くことが大切なのである」という言葉を残していますが、この精神はシェーファーの復興計画の中に活かされていきました。

新しい校舎
 1925年山手町37・38番地1,995坪を、1927年にはユニオンチャーチの土地 山手町49番地の375.22坪を購入しました。定礎式は1928年2月20日午前10時、有吉横浜市長、ケンパー・アメリカ領事、森山伊望設計技師、同窓会員等列席のうえ厳粛に行われ、1929年4月17日に新校舎は竣工しました。
 新校舎の完成を前にして、シェーファー校長は、建築の様式とそれが表現する精神について、次の諸点を挙げています。
 「第一に、建築はまっすぐでなければならぬ。今日、日本に必要な男女は、まっすぐな人物、正しい人格の持ち主でなければならぬ。正直で、誠実でまっすぐな婦人こそ社会の柱であり、建築においてもまっすぐ(ストレート)が本則である如く、われらの教育の目的もそうした女性を育成することである。
 第二の点は『美』ということである。設計者森山氏はコンクリート建築物の外壁を鉄平石で覆うことは美しさを増すと言われた。自分は初め反対であったが、やはり設計者の意向に賛成した。あの鉄平石の一つ一つが、生徒、同窓生、寄付者、後援者の精神を表現するという意味を持つとともに、奥ゆかしさの美を表すものであった。
 第三の点は風雪に耐える堅固でしっかりしたものでなくてはならぬ。まっすぐで、美しく、そして堅固であること、これは本校舎、ことにカイパー校長を記念する講堂を表現するにふさわしい三つの要素であり、フェリス和英女学校の女子教育の理想でもある」

 1929(昭和4)年、新校舎の献堂式が行われました。あの恐ろしかった大地震と、その後の廃墟のような校庭、復興の槌音、仮校舎建設とめまぐるしい時の流れの中にあって、学業にいそしんだフェリスの生徒と、それを教える教師、本校舎の復興と建築に苦心した校長、理事会。資金集めに尽力した同窓会、保護者会、横浜市民をまきこんだ後援会、および海を隔ててフェリスの復興に協力したアメリカの信徒や、ミッションの人々、それらすべての人々の信仰と誠意と愛情と協力との凝結したものが、今や、この丘の上に、ヨーロッパの中世の城を思わせる立派な校舎となって竣工し、その講堂はカイパー記念講堂と名付けられました。その年のクリスマスにはアメリカからステンドグラスが寄贈され礼拝堂正面に設置されました。

ジェニー・M.カイパー

ジェニー・M.カイパー

灰燼に帰した校舎

灰燼に帰した校舎

ルーマン・J.シェーファー

ルーマン・J.シェーファー

竣工当時のカイパー記念講堂

竣工当時のカイパー記念講堂

旧1号館

旧1号館

ページトップへ戻る