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明治期、フェリスにあった二つの風車

 1888(明治21)年、フェリスに風車が設置された。当時、生徒数が増加し、感染症を防ぐためにも、新鮮な地下水を安定的に供給する必要から、揚水風車が建てられたものである。井戸はレンガ造りで、深さは175フィート(53.3m)、貯水タンクを備えた大規模なもので、人々の関心を引き、フェリスは「風車の学校」と呼ばれるようになった。
 従来、フェリスにあった風車が複数あるとは考えられていなかったが、松尾剛史氏(有限会社松尾設計代表)の調査研究により、1888年に建てられた風車は1897年の台風で大きな被害を受け、新しい風車に建て替えられていたことが明らかになった(歴史資料館紀要『あゆみ』第77号掲載)。松尾氏による文献調査や写真の発見により、第一風車はハラディ・スタンダード、第二風車はエクリプスという異なる型の風車であることがわかった。第一風車が台風により倒壊した後、1898年に第二風車が設置されたが、この第二風車も1900年の台風により倒壊。その後は再建されることはなかった。
 風車はどちらもアメリカ製で、部品が船で運ばれ、日本で組み立てられた。二つの風車の設置工事を請け負ったクリスチャン・F. グランはデンマーク生まれで、明治維新後に来日し、堀川沿いの居留地117番で造船所を開設した。壊れた第二風車を自邸(現在の都筑区池辺町)に運び、修理し組み立て直して使用した。グランの娘エリザベスは1920年までフヱリス和英女学校で学んでいた。
 風車が取り壊された後も、井戸の跡はグラウンドに残っていた。また、井戸水は1960年頃まで生活用水として使用されていた。ご記憶のある同窓生もいるのではないだろうか。
 歴史資料館では、この二つの風車の特徴や経緯をまとめた特別展示「フェリスの丘の風車」を10月から開催している。松尾氏と、東京大学で洋上風力発電について研究している菊地由佳工学系研究科講師(2006年中高卒)に監修者としてご協力いただいた。日本の風力エネルギー活用のさきがけとなったフェリスの風車について、ぜひ多くの皆様に展示をご覧いただきたい。

(歴史資料館)

第一風車の再現模型(製作:松尾剛史氏)

第一風車の再現模型
(製作:松尾剛史氏)

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