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■ フェリスと音楽
フェリスにとって音楽は、創立期から欠かせないものだった。メアリー・E. キダーは生徒たちに賛美歌を教え、1871年には少女たちが《Jesus Loves Me(主われを愛す)》など4つの賛美歌を美しく歌っているとアメリカ改革派教会(RCA)に報告している。西洋音楽を日本人が学校で学んだ記録としては、最初のものとされている。
フェリスにオルガンがあったことを示す最初の記録としては、1873年のキダーの書簡に見られ、「私たちの許にシラキューズからとても立派な(足踏み)オルガンを送っていただきました」とある。しかし、キダー自身はオルガンが弾けなかったため、オルガンを弾ける助手の派遣をRCAに要請した。1875年2月には、ピアノを送ってほしいとの要請もしている。
1875年以降のRCA年次報告書には、生徒たちがオルガンを習う様子がたびたび記録されていて、生徒たちが絶え間なく練習しているためオルガンが傷んでおり、新しいオルガンがもう1台必要であることを訴えている。
1887年、第2代校長のユージン・S. ブースによる支出報告書には、オルガンを購入したことが記されている。また1892年には、「アメリカの友人たちから提供されたピアノとオルガンは、大変感謝されている」とあることから、生徒たちが頻繁に演奏していて、オルガンやピアノを買い足していたことがうかがえる。
■ ハモンドオルガン
日本にわずか3台しか現存しない、きわめて貴重なオルガンがフェリスにあるのをご存知だろうか。
アメリカ改革派教会の教会員マーガレット・ホープマンから寄贈されたハモンドオルガンが、1937年1月13日フェリスに到着した。29日には「ハモンド電気オルガン披露演奏会」が開催され、以後毎週2、3回ずつ朝の礼拝や、学期ごとの音楽礼拝で使用された。戦後、礼拝での演奏を担当していた教員の一人は、寒い冬の時期などは早めにスイッチを入れ、真空管を温めておく必要があったと思い出を語っている。
このハモンドは、1934年にアメリカで初めて開発された1号機A型で、現存する同型としては、日本には本学院と聖路加国際大学聖ルカ礼拝堂、神戸女学院に保管されている3台のみ。
戦時中は校舎が日本軍に接収されたため寄宿舎に移し、雨漏りで濡れてしまったことや、戦後アメリカ軍が利用したエピソードなどが残っている。
1976年、カイパー家(第3代校長のジェニー・M. カイパーの子孫)からの寄付を基金として新しいオルガン(ヤマハエレクトーン)が寄贈されたのに伴い、ハモンドは視聴覚教室に移された。2002年に新1号館が完成したときに、ハモンドはカイパー記念講堂のステージ裏に移された。ハモンドの響きについて、同窓会誌『白菊』第30号(1937年)には以下のように書かれている。
その優美な荘重な響きは毎朝の礼拝に於ける感銘を深め、一層敬虔の念を湧き起させるに足りるものである。
現在、このハモンドオルガンは音が出ない状態だが、かつての懐かしい音色が蘇れば、同窓生にフェリスで過ごした日々を鮮やかに思い起こさせてくれることだろう。

ハモンドオルガン
