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「金星の太陽面通過」観測の地としての歴史

 太陽が出ている昼間に金星がちょうど太陽と地球の間に入り込み、その影が太陽面を横切る現象を「金星の太陽面通過」といいます。月が太陽と地球の間に入り込み起きる「日食」と同じしくみですが、金星は月と比べて地球との距離が大変離れているために影は「点(まるでホクロのように)」しか見えません。「金環日食」や「皆既日食」のときのようなドラマチックな感動はありません。しかし、日食はほぼ毎年地球上のどこかで観測することができますが、「金星の太陽面通過」は100年間に2回、時期によっては105年間ないしは122年間に1回しか、地球上のどの場所でも観測することはできません。日食に比べて、大変「稀」にしか観測できない現象です。地球と太陽の間に金星が入り、「内合」の位置関係になっても、地球から見て太陽の上や下を金星が通過することがほとんどで、太陽面に金星のホクロのような影が見えることは大変めずらしく、そのタイミングも大変複雑です。8年、122年、8年、105年、8年、122年という周期で、12月8日頃と6月7日頃に観測されます。そして「太陽面」で観測するということは、ちょうど金星が太陽面を通過する時間帯が昼間である地域に観測が限定されます。
 アジア・オセアニア地域では観測することができますが、ヨーロッパやアメリカでは時差の関係から観測することは困難です。
 この大変めずらしい現象が日本で最初に観測されたのは、1874年(明治7年)の12月9日のことです。本校のある山手の178番地で観測された記録写真とデータが残されています。日本初の天体観測の写真記録(写真2)と言えます。当時、この山手地区は外国人居留地で、アメリカやイギリスなどから来日した外国人が住んでいましたが、観測に訪れたのはメキシコ人でした。天文学者フランシスコ・デイアス・コバルビアス(F.D.Covarrubias・写真3)を隊長とし、写真や測量の技師(エンジニア)で構成された5名の観測隊でした。天文関係者の間では「山手178番地」「フェリス女学院」といえば「金星の太陽面通過」とよく知られており、日本の国立天文台のホームページ*にも出ていますが、フェリス関係者には意外と知られていません。実は、地球上の離れた2地点から「金星の太陽面通過」時刻を観測することによって、その時間差から測量で使われる「三角法」と太陽と惑星間の距離の比を示す「ケプラーの法則」を組み合わせると地球と太陽の距離をより正確に精度よく計算できます。メキシコの観測隊は、横浜市の野毛山に第1観測地点を置き、山手の178番地に第2観測地点(写真4)を置きました。第2観測点の記念碑とその説明板(川崎天文同好会寄贈・写真1)が山手本通りから見えるカイパー講堂とフェリスホールの間の植え込みの位置にあります。そこであたかも観測したかのように思われてしまいますが、2004年6月(このときにも「金星の太陽面通過」があったわけですが)メキシコの観測隊が残した観測記録から第2観測点の緯度と経度をGPSに入力して特定した結果、当初考えられていた汐汲坂側(現在では中高体育館)の位置ではなく、中高のグラウンドの1号館側であることが判明しました。
 「科学(天文学)の黒船」とよばれるメキシコの観測隊は、日本へ天体望遠鏡を導入し、測量や写真の技術を日本人へ伝授しただけでなく、スペイン語はもとより英語も通じない中、フランス語が話せる日本人通訳(屋須弘平)を介して「友愛」と「学問の尊さ」を伝えました。次の「金星の太陽面通過」が観測できる日はちょうど100年後の2117年12月11日になります。そのときフェリス女学院はどうなっていることでしょう。
*国立天文台ホームページ「金星の太陽面通過~観測の歴史~各地に残る記念碑等」
http://naojcamp.nao.ac.jp/phenomena/20120606-venus-tr/history/japan.html

記念碑と説明板(写真1)

記念碑と説明板(写真1)

観測写真の記録(写真2)

観測写真の記録(写真2)

コバルビアス隊長(写真3)

コバルビアス隊長(写真3)

山手第2観測地点(写真4)

山手第2観測地点(写真4)

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