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1897年7月に開催された「文学会」

 1881(明治14)年、M.E.キダ―に代わって校長に就任したユージン・ブースは、1882(明治15)年、学則を整備し明文化、更に教育の目的を定め「生徒の衛生、風儀、道徳、及び基督教徒たる品性を発達させる」ために様々な生徒活動、設備の拡充に力をいれました。
 そして第1回卒業生で母校の教師になった若松賤子は、1885(明治18)年頃から「時習会」という文学会を始めます。
 月に1回開催し、各級の生徒の中からその学力に応じて文章を作りこの会で朗読させました。さらに、賤子は率先して「時習会」を一般にも公開。文章朗読、英詩読誦、演説、音楽、会話などを発表させ、ことに小野のお通、巴御前、静御前などが登場する「月界の会話」などは人気を博しました。
 また、フェリスの音楽教師になる前のモールトン女史が初めてピアノ独奏を披露したのもこの会でした。文学会とはいえ単なる文学に限定された会ではなく、生徒にとってはフェリスでの教育の成果を発表する機会であり、また今でいうプレゼンテーション能力も鍛錬されていったのです。
 1905(明治38)年の学校要覧には学科課程の説明等と並んで「文学会及び講義」として紹介されています。「毎週水曜日午後二時より講堂に演習会を開く、演習会は社交部、文学部、音楽部、技芸部、体育部に分つ、時々、時事学術道徳等に関して、教師並に招待員の講義あり、本校は一般女子教育の気運を奨励せんが為に時々有名なる講師を聘して講義会を開きて公会す」と明記されています。後に文芸会と名を代え、月に1、2回和文朗読・暗唱・略劇・歌・ピアノ演奏など、生徒たちの日頃の活動を披露する文学会は戦前まで続きました。
 1929年以降は、学友会組織のなかの集会部が中心となり文芸会を運営し、なかでも創立記念日、クリスマス、卒業期などに開催される文芸会(学芸会)は、生徒たちが企画を練り趣向を凝らした演目が毎年上演されていました。
 戦後、集会部はなくなりましたが、文芸会(学芸会)は引き継がれ、1949年に生徒自治会が発足し生徒会へと発展するなか、生徒会が主催するようになります。その後生徒たちが活動を発表する場は様々な行事に分かれていきますが、1954年には生徒会主催の文化祭が開催され、現在は、中高はフェリス祭実行委員会、大学は大学祭実行委員会が主催し、学内外の多くの方に学生や生徒の活き活きとした活動、フェリスの教育の成果を披露しています。

1897年7月に開催された「文学会」

1897年7月に開催された「文学会」

1897年7月に開催された「文学会」フェリス新聞56号(1936年3月発行)に
掲載されている文芸会の様子

1897年7月に開催された「文学会」フェリス新聞56号(1936年3月発行)に 掲載されている文芸会の様子

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