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フェリスと文学

フェリスと文学
夏目漱石 没後100年

第10回日本文学国際会議「夏目漱石シンポジウム」日本文学を世界へ発信

 フェリス女学院大学文学部日本語日本文学科は、1965(昭和40)年に国文学科として誕生、その後1993(平成5)年に日本文学科と名称変更し、2014(平成26)年から現在の名称となりました。日本の文化や文学、言語を学ぶ学科ですが、この名称変更にもさまざまな思いが隠されています。その背景について文学部教授の佐藤裕子先生は次のように話します。
 「92年に『国文学科』という学科名についての議論が学科内で起こりました。『国文学』は『日本文学を自国の文学と意識した時の呼び名』です。現在世界には196か国ありますから、196の『自国文学・国文学』がある訳です。『日本文学』も196ある国文学の一つにすぎません。そのような訳で、自国文学に特化した呼び名である国文学科から日本文学科へと名称を変更しました。さらに上代文学から近現代文学、そして日本語学、日本語教育学と、日本文学・日本語学の全分野を網羅するフェリスの日本文学科の内容をより正確に示すために、一昨年日本語日本文学科と名称を変更しました。」
 日本の言語、文化を世界に向けて発信するその具体的な取り組みとして、2002年から開催されているのが「フェリス女学院大学日本文学国際会議」です。
 「第1回は『異文化との出会い』をテーマに、グローバリゼーションの時代において日本文学はどうあるべきか、アメリカ、イギリス、中国など8カ国の日本文学研究者を招いて、世界の中の『日本文学』を考えました。その後も源氏物語研究、戦争と文学、和歌、日本語教育など世界と日本をつなぐ会議としてこれまでに9回開催しました。そして今年12月8日から10日まで、第10回となる国際会議が開かれます。」 今回のテーマは、今年没後100年、2017年には生誕150周年を迎える日本の国民的作家ともいうべき夏目漱石。「漱石は世界をどう読んだか/世界は漱石をどう読んでいるか」をテーマに2部構成で開催されます。
 「漱石は、森鴎外と並び明治の二大文豪と称されますが、その作家生活はわずか11年と短いことはあまり知られていません。漱石が作家活動に入るのは、1903(明治36)年にロンドン留学から帰国して、東京帝国大学文科大学の講師を務めていた頃のことです。1905(明治38)年に「吾輩は猫である」(第1章分)を雑誌『ホトトギス』1月号に、「倫敦塔」を『帝国文学』1月号に発表し、1916(大正5)年『明暗』連載中の12月9日に亡くなるまで、作品を書き続けることになりますが、漱石文学の特殊性はどこにあるかというと、漱石は文学を研究する立場にいたという点です。文学を鑑賞し、読むという立場からスタートしたことで、作品が読者にどのように読まれるかということを常に意識していました。漱石はイギリス文学、中国文学(漢文学)をはじめとして、ヨーロッパの文学を研究することで、小説の技法を学び、それを自分の作品へと昇華させていったのです。漱石の作品が時代を超えて愛され続けるのも、こうした要因があったからともいえるのです。」
 作家でもあり、評論家でもあった漱石の思考をまるごと可視化するという試みを行う今回の国際会議。漱石が世界でどう読まれているのか、また、英文学者として漱石は世界をどう読んだかを探り、小説家・夏目漱石の原点を考えていきます。
 「大学教員だった漱石が、小説家へと転向したのは、英文学作品への深い理解があったからこそ。今回の国際会議は、漱石が構築した作品世界を理解するための3日間のプログラムとなっています。」
 フェリスから世界へ、夏目漱石を通して日本語と日本文学の魅力を発信する貴重な機会となっています。

中学校・高等学校英語部から世界へ
絵本の翻訳活動を通して子どもたちの識字率向上をめざす

 フェリス女学院中学校・高等学校の英語部では、2006年から日本語の絵本を英訳し、海外に送る活動を行っています。
 「神奈川東ロータリークラブから当時の校長中村晴子先生を通じての依頼がきっかけで、絵本の翻訳が始まりました。
ロータリークラブは、スリランカの支援活動を行っており、識字率の向上、教育の普及を目的として図書館を併設した幼稚園を建設しています。その図書館は、幼稚園児だけでなく、現地の小中学生、村の方々も利用できるものですが、その図書館に送るための日本の絵本を英訳してみないかと声をかけてもらったのが始まりです。」と、英語部の顧問である柳沢善敏先生。英語部では、フェリス祭で行う英語劇の上演や展示発表などを主な活動にしていましたが、06年からは絵本の翻訳活動も加わりました。この活動はすでに10年続いており、これまでに300冊ほどがスリランカへ送られているそうです。
 「英語部として本格的に翻訳活動を行いだしたのは、07年にジョセフィン木村先生と、ネイサン・ブラウネル先生が赴任されてからです。ネイティブの先生が指導に加わってくださったことで、部員たちも一層前向きに取り組むようになりました。部員の生徒たちは、まず好きな絵本を選び、レポート用紙に英訳、さらにその場面の絵を自身で書きながら、絵本として伝わる英訳を行っていきます。それを先生方がチェックし、OKが出たところで絵本に英訳を貼り付けていく作業を行います。文字の大きさやフォント、英訳を貼る位置まで細かく考えながら本を仕上げていきます。完成された本は、生徒たちのこだわりが詰まっていて、最初から英訳がついていたのではないかと思わせるようなものもあります。
 スリランカへ送られると、この本にはさらに現地の言葉であるシンハラ語の訳文がつけられ、3ヶ国語で読めるようになります。中学・高等学校では、奉仕活動を教育の一環としていますが、この活動も広い意味でスリランカの方たちの識字率向上につながっており、英語部としてもこの活動が奉仕活動のひとつと位置づけています。」
 翻訳活動では、一人一冊、それぞれ好きなものを選び翻訳を行います。多い人だと年に数冊、細かい表現などを工夫しながら仕上げていきます。
 「日本語の絵本は子どもの話し言葉や、擬声語、擬態語などが多く、英訳しにくいこともしばしばあります。それをわかりやすく伝えるにはどうしたらいいかという点に、最も神経を使います。送られた絵本は、数年で廃棄されるわけではなく、何年、何十年と残るものです。
だからこそ、英語圏ではない人たちが読んでもわかりやすい表現ができるよう、ネイティブの先生などと相談しながら、一冊の本を完成させていきます。授業などもある中で翻訳活動を行うのはとても骨の折れる作業ですが、楽しみながら取り組んでいるのが印象的です。」
スリランカからも、絵本を手にした写真や、お礼状が届いたり、現地に出向いたロータリークラブの方たちから様子を聞くことができます。「楽しんで絵本を読んでいる」「日本の文化を知ることができてよかった」などの声が届くことで、生徒たちも喜びを感じ、それが翻訳活動の継続にもつながっています。
 「英語部はフェリス祭などで英語劇の上演をしますので、それを見て入部する生徒が多いのですが、展示発表の中の翻訳活動の様子を見て入部を希望する生徒も見られます。スリランカは識字率が90%以上なのに地域格差の大きい国で、字も読めず就学もできない子どもたちがまだまだ少なくありません。今後も奉仕活動として自然にこの活動が継続し続けていくよう、取り組んでいきたいと思っています。」

文学部日本語日本文学科 佐藤裕子教授

文学部日本語日本文学科 佐藤裕子教授

「フェリス女学院大学日本文学国際会議」報告書

「フェリス女学院大学日本文学国際会議」報告書

「第10回フェリス女学院大学日本文学国際会議」 チラシ

「第10回フェリス女学院大学日本文学国際会議」 チラシ

英語部の顧問 柳沢善敏先生と巨大絵本(おばけの天ぷら)

英語部の顧問 柳沢善敏先生と巨大絵本(おばけの天ぷら)

翻訳された絵本

翻訳された絵本

翻訳された絵本を手にするスリランカの子供たち

翻訳された絵本を手にするスリランカの子供たち

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