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第2回 将来に向け、フェリスを守り育てる

 2011年11月1日付で奥田義孝常務理事が理事長に就任した。着任にあたり、その心がまえを大塩学院長に語った。(2011年12月)

大塩 奥田理事長は、長年にわたる営利企業の経営から身を転じ、非営利組織である教育機関のマネジメントに関わるようになったわけですが、「ここは企業と違う」と感じたのはどんなことでしょうか?
奥田 2003年にフェリス女学院理事に就任しました。最初に自問自答したことは、「学校法人の理事会は誰に責任を負っているのか?」でした。企業の取締役会は一義的には株主に責任を負いますが、学校の理事会はどうなのか。「学校法人の理事会は、学校の将来に対して、単なる存続を超えた責任を負う」というのが思い至ったことでした。企業における組織活動の基本規則は「定款」ですが、学校法人の基本規則は「寄附行為」です。フェリス女学院は1870年、アメリカ改革派教会からの「寄付」により誕生した学校法人です。寄付者は寄付した後は何も言いません。しかし、それゆえに一番大切なことは、「寄附行為」の文言を超えて、創立者の志、即ち建学の精神、そして、For Othersという教育理念の継承に責任を負うことではないでしょうか。ケニアの伝承に「地球を大切にしよう、何故ならそれは私たちが祖先から貰ったものではなく、私たちの子孫から『預かったもの』だからです」という言葉があるそうです。地球は神の摂理によって動いています。この地球をフェリスに置き換えれば、創立者の背後にある究極の目的がわかります。将来に向けてフェリスをフェリスとして守り育てていくことが理事会の使命だと思っています。
大塩 奥田理事長は、これまで私立学校の世界では打ち出されたことのない形で、「建学の精神」の伝承意義に対する論理的な根拠を示してくださいました。これはフェリスに働く私たち教職員への指針となるでしょう。
次に、これまでビジネスの世界で培われたトップマネジメントとしての理念をお聞かせください。
奥田 重大な意思決定において常に心がけてきたことは、「責任を負っている組織にとって何が正しいのか、何が最善か」だけを判断基準とすることでした。私心を交えると判断を間違います。私心のない正しい判断をすれば、最終的には理解が得られると信じています。それと、意思決定は、心情に左右されず、客観的な事実関係と合理的な論拠に基づいて行うよう努めています。最後の最後に心情を容れることまでは否定しないのですが、そこに至るまでに、クールで厳しいという印象になってしまうようですね(笑)。
大塩 理事長と学院長のパートナーシップをどのようにお考えですか?
奥田 一般的に、学院長は「教学」の責任を担い、理事長は「経営」の責任を負うと定義されています。「教学」と「経営」は車の両輪にもたとえられます。しかし学校ではやはり「教学」がメインであり、「経営」は「教学」を支えるインフラです。「教学」と「経営」に明確な一線が引けるわけではありません。役割を分担しつつ、いい意味でのイコールパートナーとして協力し合いたいと願っています。
大塩 最後に、これから理事長として教職員とどのような関係を構築したいとお考えですか?
奥田 理事長は、各学校の教育現場とほとんど接点がなく、日常的にお目にかかる機会は少ないと言ってもいいでしょう。できれば、もう少し機会を設けて、理事長としての真意が正確に伝わる礎を築いていきたいと思います。なかなかお目にかかれないと、どうしても書面や間接的なコミュニケーションに依存することになります。しかしそれには、人間同士の信頼に基づくコミュニケーションのベースがあることが必要です。できるだけ、face to face, heart to heartを心がけていきたいと思っています。

理事長 奥田 義孝(おくだ よしたか)

理事長 奥田 義孝(おくだ よしたか)
1936年京都市生まれ。クリスチャンホームに育つ。父は牧師。慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行、2度の海外勤務(メルボルン、ロンドン)を含め、主に国際業務に従事。1989年森永製菓に転籍、財務・経理を中心に主として管理部門を担当、2002年退任。2003年フェリス女学院理事就任、2007年常務理事、2011年11月理事長。現在、日本聾話学校理事長。エンゼル財団専務理事。日本基督教団中渋谷教会員。

学院長 大塩 武(おおしお たけし)

学院長 大塩 武(おおしお たけし)
1943年生まれ。早稲田大学商学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科博士課程最終単位取得。商学博士(早稲田大学)。明治学院大学経済学部教授在職中に、ハーバード大学ライシャワー日本研究所に特別研究員(Visiting Scholar)として1年間滞在。明治学院大学では、情報センター長、教務部長、入試センター長、経済学部長、学長を歴任。社会経済史学会評議員、経営史学会幹事、編集委員、評議員、理事を歴任。著書:単著『日窒コンツェルンの研究』(1989年、日本経済評論社)、麻島昭一と共著『昭和電工成立史の研究』(1997年、日本経済評論社)、ほか多数。

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