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創立150周年にむけて A BRAVE PIONEER(勇敢な先駆者)を受け継ぐ

 2018年アメリカ資料調査の時にラトガース大学アレキサンダー図書館で入手した資料に『A BRAVE PIONEER―A SKETCH OF MRS.ROTHESAY MILLER』がある。
 改革派教会婦人伝道局が1910年にメアリー・E.キダーが亡くなった後に発行した15ページの小さな冊子で、彼女の生涯を第2代校長ブースの妻エミリーS.ブースが綴ったものである。そして、エミリーはキダーの勇気と熱意と献身に敬意を払い、「A BRAVE PIONEER」と題した。
 婦人伝道局は、貢献した女性宣教師が亡くなるとこのような冊子を発行してきた。カイパー校長の『A Memorial』、モールトン先生の『I n Memoriam.』も同様で、女性宣教師を派遣するために寄付をしてくれているアメリカの女性信者にその宣教師の生涯、活動を報告するために作成し配布していた。
 キダーは日本の福音伝道においても女子教育においても勇敢な先駆者であった。1869年ブラウンの再来日に同行し、2500トン余りの小さな船で太平洋を渡り、キリスト教禁制の高札が立つ日本に独身女性宣教師としてやってきた。彼女を突き動かしていたのは「キリストの福音を知らない人々のために役立ちたい」(1869年5月3日付け書簡)、「教師に恵まれない多くの人々の間で自分を役立てたい」(1869年3月1日付け書簡)という熱い思いであった。
 1875年、山手178番地に校舎・寄宿舎を新築し、年末には生徒数が50名となり、寄宿舎も満員になるほど全国各地から入学者が集まった。1873年には長老派宣教師のローセイ・ミラーと結婚、夫ミラーが改革派に転籍した。結婚式には生徒全員を招待し、親の意志で決められていた日本の結婚とは異なり、自分の意志で結婚することを教えた。キダーは幅広い知識を身に付け、自ら思考する女性を育てることを理想としていたのである。
 この冊子には1881年フェリスを辞し、夫とともに高知、北海道、盛岡などで地方伝道に従事しながら、月刊キリスト教誌『喜の音』等の編集・発行にあたったこと、晩年は癌を患い、1910年6月25日の朝、夫に見守られて、その生涯を閉じたことまで詳しく書かれている。掲載されているフェリスの写真は、ブース校長時代のものでキダーが蒔いた種が大きく成長していることがよく分かる。
 2020年150周年を迎える今、キダーのPIONEER精神はフェリスに関わる全ての人々に受け継がれている。

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