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フェリスと女子教育

フェリスの女子教育

 1870(明治3)年に、日本で最初の近代的女子教育機関として、アメリカの改革派宣教師であったメアリー・E.キダーによってフェリス女学院は始まりました。女性が学ぶことの意義がまだ認められていなかった時代に、女子教育の必要性を説き、キリスト教の信仰が禁止されている中でも「キリスト教の信仰に基づく女子教育」を建学の精神として掲げ、時代を切り拓く教育を行ってきました。
 それから150年。フェリスは、来年の2020年に150周年を迎えます。数名の生徒で始まったフェリスは、現在までに約4万2千人以上もの卒業生を輩出するまでになりました。150年という歴史の中には、いくたびもの困難がありましたが、設立当時からの教育方針や校風は、長きにわたって受け継がれています。
 その長い歴史の中で、フェリスが長い年月をかけて育成してきた女性像とはどんなものなのか。今回は、中高、大学それぞれの卒業生の方4名に話を伺います。フェリスで学んだ人に受け継がれている学びや精神を、歴史とともに紐解いていきます。

 フェリスが開学した当時、女性の身分はまだ低く、女子教育の意義もまだ十分に認識されていませんでした。そのような中で、女子教育の普及のために尽力した、創立者のキダー。キリスト教の伝道、女性の教育力の向上を通じて女性の地位向上、さらに家庭内での教育力を向上させることを目的として設立されたのがフェリス女学院です。
 キリスト教精神に則った教育をすることで、教育を通じて視野を広げ、自立して人生を選択できる可能性を増やす目的があったことは、過去のさまざまな資料から読み解くことができます。

苦難の時代の中で響く賛美歌と朝のお祈り

 1923年の関東大震災でフェリスは校舎が倒壊焼失、カイパー校長が殉職した後、1929年に新校舎、カイパー記念講堂が竣工し、新たなフェリスが幕開けしました。
 未来へ向けての一歩を踏み出したフェリスとは一転、時の世は日米関係の悪化からミッションスクールへの風当たりも強くなっていきました。1941年に戦争が始まると、校名は「横浜山手女学院」に変更され、宣教師団も帰国。英語授業の縮小など次々と戦時協力体制が打ち出されていきました。
 こうした混乱の中、1943年にフェリス女学院(当時は横浜山手女学院)中等部に入学したのが荘杏子さんです。「当時の校長だった都留仙次先生の“敵国兵士の上にもお恵みを”というお祈りの言葉が自然と心に入り、讃美歌の響きに毎日心が洗われるようで、戦時中にもかかわらず心豊かな学校生活でした」
 入学した年の三学期から、上級生と同様に、陸軍兵器補給廠田奈部隊や森永食糧工場、帝国通信などに、交代で動員されるようになります。また、校舎を日本海軍へ貸与することになったこと、地方へ疎開する生徒が増えたこともあり、授業は寄宿舎で行われていました。「3年生夏の終戦の後も、校舎は進駐軍の兵舎として使われ、満足な授業ができる状態ではありませんでしたが、学校の中はとても自由で明るく、希望がありました。やがて校舎も戻り、合唱コンクールや文化祭など生徒自身が考え、決め、練習に励んだことを今でも覚えています」

創立80周年式典で発表された現在の校歌

 中等部卒業後、荘さんは専門学校(当時は横浜山手女学院専門学校)英文科(後の短期大学)に進学。青春時代の8年間をフェリスで過ごしました。「中等部時代は満足に授業が受けられなかったので学びに飢えていました。沢崎九二三先生の英文学の授業は本当に魅力的で、また、都留先生の時事英語やザンダー先生のタイピング、速記など、専門学校で学ぶ授業はとても刺激的なものばかりでした」
 そのような中で、荘さんにとってフェリスでの忘れられない思い出の一つとなっているのが、1950年の創立80周年を記念した行事だといいます。
 「専門学校の最終学年(3年生)のとき、80周年の記念式典が秩父宮妃殿下ご臨席のもとに行われ、新しい校歌(現在の校歌)のお披露目がありました。英康子先生(当時、中高国語科教諭)が作詞、團伊玖磨先生が作曲なさった、ピアノとオルガンの前奏で始まる格調高い校歌に、歌っていた私達も聴衆も指揮者の三宅洋一郎先生も感激で一杯でした」

 「フェリスの友人たちはみんな自然体で、今でも何でも相談できる仲間です。その後、娘たちと孫もフェリスに進学したご縁もあって、「白菊会」や「りてら」の同窓会役員を務めました。また同窓会のコーラスグループ(デイジーグリークラブ)で、田中順先生ご指導のもと40年以上活動し、年齢の差を超えて本音で話すことができる生涯の仲間や友人たちに、フェリスを通じて出会うことができました」(荘さん談)
 互いの個を尊重し、他人の個性を受け入れる土壌がフェリスの学びにはあります。人と比較することなく、また、互いに遠慮することなく本音で付き合うことができる人間関係を持てること、自分を認め、さらに他人を認めて生きる力を身につける教育は、長い歴史の中で、戦争という苦難の時代にあっても、受け継がれています。
  戦争で多くのものを失った時代から復興に向かった日本は、世界に例のない高度成長期に入っていきます。戦後の経済の発展とともに、四年制大学を目指す女子も増加。フェリスでも100周年までに四年制大学を備える学院に発展させたいという機運が高まり、1965年に大学文学部英文学科・国文学科、(現英語英米文学科・日本語日本文学科)が開設されます。

伝統の継承が愛校心を育てる

 現在、大学同窓会「りてら」の会長を務め、1966年に4年制大学の第一期生として国文学科に入学した小澤美智子さんは、フェリスの校風やフェリスが育成してきた女性像をこう話します。
 「キャンパスライフはとても楽しかったということに尽きます。自由闊達で、友人たちも主体的であるのに柔軟性を持っています。同窓会に携わる中で感じることは、フェリスを愛している人が多いなということです。フェリスの精神である『For Others』がみなさん自然と身についているのか、卒業後社会に出ても『自分たちが戻れる場所であるフェリス』をよくしようと積極的に動いてくださる方が多いのです。
 フェリスで学んだことを誇りに思えるのは、フェリス設立当初にキダー先生が描いていた女性像-自立し、自分の置かれた環境のもとでも自分の進むべき道を見出すことのできる女性-が、受け継がれているのを実感している方が多いからではないでしょうか。荘さんのように戦中戦後の苦難の時代も、女性が社会に出て活躍する時代も、そして現代の情報化社会の中と、世の中は激しく変わっていっても、その精神だけは変わらず、そしてとても重要なことであると思っています」
 フェリスの精神が受け継がれているということがよくわかるエピソードを話してくれたのが、1995年に中高を卒業した平林美玲さんです。

個を尊重し互いを受け入れる風土

 「部活動や体育祭、文化祭、合唱コンクールなどで先輩がイキイキとしている姿を見て、『楽しそう、私もああいうふうになりたい』と憧れの気持ちを抱いたのを覚えています。周りの友人たちも同じように思っていたのではないかと思います。とにかくフェリス生はイベント好き。好きなことを好きなだけ、自分で決めて自分で取り組むという環境で、自分がやりたいことをとことん楽しめたのは、今の自分にも生かされているなと感じています。
 同級生たちも、アグレッシブで好奇心旺盛な勉強家が多く、それぞれが長けている分野を持っていて、自分の知らないことを知っている人がたくさんいました。例えば、当時から生物が好きな友人がいるのですが、主婦となった今でも同じように生物を極めています。生物に関しては誰も太刀打ちできないほどの知識を当時から持っていました。同じように他の友人たちも『誰にも負けない』分野を持っていました。だからこそ、この分野ならこの子に、あの分野ならあの子に、と頼ることができ、それぞれが得意なこと、好きなこと、やりたいことで力を発揮することができました。フェリス生の特徴として『互いに遠慮することなく、個を尊重し、他人の個性を受け入れる』というのがありますが、これはこうした下地があるからかもしれません」

今日より明日がよくなるように
『For Others』を心に

 「先輩、同級生に後輩、周りのフェリス生たちは皆励みになる存在となっていて、私自身も自分らしさを大事にしながら、得意なこと、好きなことの力を伸ばしていくことができたように思います」
 平林さんは現在、主婦のかたわら、地域の子供たちと高齢者をつなぐハロウィンイベントなどを企画。幅広い世代が子育てを支援する体制が評価され、2012年には神奈川県の「かながわ子ども・子育て支援大賞」の奨励賞を受賞しています。
 「遊べる場所も限られているような今、子供たちが学校以外でつながれる楽しい場所を作りたいと思い、地域の方々にも協力をいただいて、季節の行事ごとにイベントを開催しています。ハロウィンは100人規模のイベントになりました。子供を持つ同世代のママたちだけでなく、地域の高齢者の方たちも協力してくださいました。なんでこんな大変なことを?と聞かれることもあるのですが、その答えは『For Others』にあると思っています。今日より明日がもっとよくなるように、世の中を少しでもよくしたいという想いはフェリス時代に培われたと感じています」

さらなる発展の中で変わらない精神

 1988年に大学の緑園キャンパスが完成。短期大学家政科を発展改組し、大学文学部国際文化学科が開設され、1991年には大学院も開設しました。その後、2002年には山手新一号館、新カイパー記念講堂が竣工、フェリスはさらなる発展を遂げてきました。
 「同窓会に関わり、その変革を目の当たりにしてきて、フェリスは日々進化していると感じています。特に大学のCLA(Center for the Liberal Arts:全学教養教育機構)は、フェリスの伝統になっているリベラルアーツ教育を発展させたもの。幅広い教養、高い言語能力が身につく教育で、まさに新しい時代を切り拓く女性を育成するための素晴らしい教育です。充実したカリキュラムで私もうらやましく思います」と同窓会会長の小澤さん。
 メアリー・E.キダーから始まったフェリスの女子教育は、時代と共に変わってきました。それだけ女性を取り巻く環境も変わってきたと言えるでしょう。今後、ますます女性の活躍が求められる時代となり、女子教育の重要性は改めて見直される時期にきています。
 1959年に中高を卒業、その後教員となって、長年にわたりフェリスで英語を教えられた後、卒業生初の校長を務められた中村晴子さんは、「フェリスは男女という区別ではなく、他者との関わりの中で『人格』を育てていく場所です」と話します。

フェリスは人格を育てる場所
目に見えないものを大事に

「フェリスは自由な学校ですが、規則に縛られない代わりに、その分生徒一人ひとりが責任をもっています。その責任を負った上で、自由に大らかにのびのびと過ごすことができるのがフェリスだと思っています。自分自身が生徒だった頃も、教員になってからも感じるのは、フェリスは目に見えないものを大事にしているということ。『For Others』のとおり、他者と触れ合うことによって相手の個性を認め、気遣うことのできる人を育てる土壌があります。教員たちも生徒たちを『子供だから』などと区別せず、一人の人間として大事にしています。時代が変わり、女性に求められるものも変わってはきていますが、目に見えない大事なことはいつまでも変わりません。フェリス生の芯の強さや、柔軟性、自らの意思で自分自身の人生を切り拓くことができているのは、こうした教育が受け継がれているからなのだと思います」(中村さん談)
 平林さんは、卒業後に当時の担任の先生から受けた言葉を大切にしているといいます。
 「当時はこの恵まれた環境が当たり前だと思っていて、先生方への感謝が足りなかったかなと反省していました。世間知らずだったかもと思い、それを先生に伝えたところ、『のびのびと自分の好きなことを思いっきりできる時間を過ごせたなんて、最高だと思うわよ』と言ってくださいました。家族だけでなく、こうして外の世界に自分を認めてくれる場所があるということは、とても心強いことです。その支えがあるから今でもがんばることができる。今は『他人より自分』という考えが強くなってきていて、つい自分の価値観だけで物事を判断しがちです。時代に応じた変化はあっても『For Others』という他者のためにという精神はとても大事なこと。これはいつまでも変わらず、フェリスの伝統として受け継いでいってほしいと思います」
 150年という長い歳月をかけてフェリスが築いてきたものは、これからも時代に合わせた柔軟性を持って受け継がれ、明日に生きる女性を育んでいきます。

荘さん中等部の頃

80周年式典告知ポスター

メアリー・E.キダー

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