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第1回 フェリスの使命を語り、未来を奏でる

 2011年10月末をもって理事長職を辞された小塩節前理事長には、学院長としての期間を含めると14年間にわたってお導きいただきました。リニューアルされた本誌の巻頭で、2011年4月に就任された大塩武学院長との対談をお願いしました。(2011年12月)

大塩学院長(以下、大塩) 先生、長きにわたり本当にありがとうございました。
小塩前理事長(以下、小塩) 大塩学院長におかれては、春からスムーズに、そして果敢に仕事をお進めいただきありがとうございます。去年は、4期癌の治療のため、皆様に大変ご迷惑をおかけしました。まずはお詫び申し上げます。幸い新しい薬と私の癌とがちょうどぴたりと合って、ぐんぐん病気を退治していったのですね。しかし1年かかってしまい、この先学院の理事長という責任を負うのは無理であること。先生が着任されて半年、もうこれで大丈夫ということで辞意をお認めいただきました。
大塩 本日は、フェリスの使命と未来をお話いただければと思っています。

フェリスの教育理念 For Others

大塩 フェリスの教育理念For Othersについて語っていただけますか。
小塩 学院は、キダーさんをはじめとした先人たちが祈りを込めて横浜の地に創り141年になりました。For Othersは、ご承知のように、創設者の言葉ではありません。はじめはキリストだけがあって、やがて次第に歴史の中でにじみ出てきた言葉というのが面白いですね。日常生活の中で、祈りの中で、聖書の中からにじみ出てきた言葉で、それがフェリスの土台になっている。
大塩 かつて中高の校長そして大学の教授も務められた故・気仙三一先生がFor Othersについて論じています。これを手がかりにすると、だいたい昭和期に入って1920年代の後半あたりからFor Othersが少しずつフェリスの中に定着していったように見受けられます。
小塩 この10年の間に「〜と共に」という訳も出てきていますが、やや広い解釈ですね。Forには「身代わりになって」という意味もあります。キリストが十字架を背負って我々の身代わりになってくださった、という側面を忘れてはいけません。
大塩 実際、関東大震災で校舎が壊れた時にカイパー校長が瓦礫の下で「あなた方がここに死んでも、私は助かりませんから逃げなさい」と言って炎の中で亡くなっていった。カイパー校長の殉職はフェリスにFor Othersを定着させる力になったと思います。そして、私たちが今、進めようとしている学院のグランドデザイン構想も、For Othersを軸に据えています。
小塩 とても良いと思います。フェリス生やここで働く者、支えてくださる多くの方々がお尽くしくださった歴史。それが実はFor Othersなんですね。我々がOthersとして祈りと支えを受けている者の一員である、という気持ちでいたい。

フェリスの女子教育と教育の独自性

小塩 私が去るにあたって、お願いしておきたいことが3点あります。第一に、フェリスが女子教育を貫くことです。ただ、大学院国際交流研究科のみ、主に「ジェンダー研究」においては、男性側からのアプローチを交える機会が必要ということで、1、2名、男子院生の入学を認めている。これは私が学院長を命じられていた時に決断しました。しかし、それを拡げることはない、というのが全学院共通の認識です。女子教育に専念するということに意味があるのであって、女子が最高の教育を受けるということから、やがて卒業した後でのリーダーシップを磨かれる。自立している、だけではなくて、自律の自負を持つ。「自ら立つ」という自立だけではなくて、「自らを律する」女子になっていただきたいわけです。共学にすることはあり得ないし、私は、共学になったらフェリスの存在理由はなく「フェリス女学院」という名前はやめなければならないと思います。
大塩 女子だけで共に学び、過ごすことを通じて、女性が人間本来の持っている能力を培うことができます。それは間違いない事実でしょう。
小塩 第二に、学院の重い責任者には、キリスト者をあてること。いわゆるクリスチャン・コードを深い意味付けをもって守ること。
 そして第三点目です。大学をcollegeではなくuniversityと言っているのは、非常に珍しい学部を持った高等教育機関である証とも言えるでしょう。文学部、そして家政科がもとになった国際交流学部がある。それだけではなく、音楽学部があります。世界の本当に良い音楽をここで学び、発信していく。昨年から全国で「山手の丘音楽コンクール」の予選を開いてその最終コンクールを山手で行いました。また、文学部や国際交流学部の学生が正式な単位として、例えばオルガンを勉強する、音楽の授業をとることができる、これは羨ましいですね。私は旧制の教育を受けたものですから古い枠の中で育ってきて、今まで大学とはそういうところだとばかり思っていたから、こういう自由な選択ができてのびのびといろいろな勉強ができるということは幸せです。universalなuniversityである、ということは。高らかに歌って、そしてその教育のレベルは最高のものでなければいけないでしょう。
大塩 今のお話で「高らかに歌う」という言葉がございましたが、フェリス女学院大学が他の大学と違う独自性を発揮する重要なモメントとして「音楽」を位置づけることに積極的な意味を見いだすつもりです。

フェリスの使命と未来

小塩 ところで学院長としてどのようなお仕事をお考えですか。
大塩 学院長の仕事の1つとして考えているのが、「フェリスの教育を社会に知ってもらう」ことです。キリスト教信仰に基づく教育がどんなものか、フェリス独自の女子教育がどんなものなのか、社会に知ってもらうのです。フェリスの教育を社会に知ってもらうために必要な仕組みを創っていくつもりです。要するにコミュニケーションに関わる仕事です。
小塩 この「学院広報」のリニューアルをかねてより考えていましたが、今回、実現できて嬉しく思います。学院の情報を学院関係者にあまねく伝えるものにしたいと考えたからです。学院長がこれから進めようとされる社会発信のツールとして育てていってもらいたいと期待しています。これからのフェリスにはキリスト教信仰に根付きつつ、良き女子教育をこの日本で、あるいは世界の中で、どんな困難があってもやり抜いていくという使命を与えられている。その使命が大塩学院長によって担われ、奥田新理事長もお支えいただいていることを心からありがたく思います。
大塩 これからも変わることなくフェリスを、そしてフェリスに関わる私たちを、励ましご支援くださいますようお願いします。

フェリス女学院大学 フェリスホールにて撮影。

カイパー記念講堂のステンドグラスにある関東大震災の犠牲となったカイパー校長への追悼文にはfor othersの文字が刻まれている。

前理事長 小塩 節(おしお たかし)

前理事長 小塩 節(おしお たかし)
1931年生まれ、東京大学文学部独文科卒。国際基督教大学、中央大学文学部教授(ドイツ文学)、フェリス女学院学院長、同理事長を歴任。中央大学名誉教授。その間に駐ドイツ日本国大使館公使、ケルン日本文化会館館長、国際交流基金日本語国際センター所長等を兼務。ドイツ連邦共和国功労一等十字章、同文化功労大勲章叙勲、日本放送協会放送文化賞、ゲーテ賞等、ケルン大学名誉文学博士。著書に『ドイツのことばと文化事典』(講談社学術文庫)、『ガリラヤ湖畔の人びと』『バルラハ-神と人を求めた芸術家』(日本基督教団出版局)、『木々を渡る風』(新潮社・日本エッセイスト・クラブ賞受賞)、『人の望みの喜びを』(青娥書房)ほか多数。訳書多数。

学院長 大塩 武(おおしお たけし)

学院長 大塩 武(おおしお たけし)
1943年生まれ。早稲田大学商学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科博士課程最終単位取得。商学博士(早稲田大学)。明治学院大学経済学部教授在職中に、ハーバード大学ライシャワー日本研究所に特別研究員(Visiting Scholar)として1年間滞在。明治学院大学では、情報センター長、教務部長、入試センター長、経済学部長、学長を歴任。社会経済史学会評議員、経営史学会幹事、編集委員、評議員、理事を歴任。著書:単著『日窒コンツェルンの研究』(1989年、日本経済評論社)、麻島昭一と共著『昭和電工成立史の研究』(1997年、日本経済評論社)、ほか多数。

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