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第3回 受け継がれる変わらぬ精神「創立記念式」レポート

 1875(明治8)年6月1日、初めて現在の地に校舎・寄宿舎を構え、フェリス・セミナリーとして歴史をスタートさせたフェリス女学院。この記念すべき日を祝うべく、中学・高校では毎年創立記念式を開催しています。歳月を経ても変わらない式典の様子、学院ゆかりの宣教師たちが眠る外国人墓地への墓参、卒業生による講話など、伝統に満ちた創立記念日の一日をレポートします。(2013年6月)

受け継がれる創立記念式

 1870(明治3)年、キダーの私塾として始まったフェリス女学院は、1875(明治8)年に山手町178番地に校舎・寄宿舎を落成。同年6月1日にフェリス・セミナリーとして開校しました。その日を創立記念日と定め、中学校・高等学校では学則上は休業日となりますが、平日である限り全校生徒・教職員で創立記念式を行ってきました。
  『フェリス女学院100年史』に収録されているクラス日誌(下記コラム「一九六八(昭和四三)年五月三一日のクラス日誌」参照)には、1968(昭和43)年の創立記念日の様子が記されています。今から約45年前の日誌ですが、その内容は驚くほど現在と変わっていません。他の式典と同様、創立記念式も毎朝の礼拝とほぼ同じ順序で行われます。ハンドベル・クワイアによる前奏に続いて一同で讃美歌を歌い、宗教主事が聖書を朗読・祈祷した後、聖歌隊が賛美をします。校長が式辞を述べ、一同で再び讃美歌を歌った後は、永年勤続者の表彰です。現在は勤続年数、10年以上の教職員が5年ごとに表彰され、ステージ上で学校と生徒会からお祝いを受け取ることになっています(下記コラム「永年勤続者への言葉」参照)。その際生徒会から各教職員へ送られるお祝いの言葉で、場内に笑いが起こることもしばしば。最後にハンドベル・クワイアによる賛美に続いて一同で校歌と頌栄を歌い、黙祷する中、宗教主事による祝祷を受けて閉式となります。この日、生徒はブルーのセーラーに白いソックスという夏の制服で記念式に臨みます。胸に校章をつけ、上着を羽織らないのが夏の式服スタイルです。

宣教師の先生方や卒業生から学ぶフェリスの伝統

 カイパー講堂での式典が終わった後、J1(中学1年生)の生徒は担任の先生方と共に、キダー先生をはじめ、クラス日誌に登場するフラハティ先生などフェリスにゆかりの深い宣教師たちが眠る外国人墓地(下記コラム「横浜外国人墓地への墓参」参照)へ墓参に出かけるのが30年ほど前からのしきたりです。
 J2以上の生徒たちは、先ほどのクラス日誌にも記されているとおり卒業生の講話を聞くことになっています。この日のためにお話しくださる卒業生の方は年齢も職業もさまざまですが、一様にフェリスでの6年間の学びが自分の進路に総合的に活かされている方ばかり。彼女たちはクリスチャンであろうとなかろうと、在学中に朝の礼拝で語られた聖書の御言葉が今も自分の支えになっていると話してくださいます(下記コラム「卒業生講演」参照)。日々の勉強に追われ、ともすれば大学受験が最大の関心事になってしまいがちな生徒たちに向かって、柔軟な思考で自分に適した活躍の場を選び、自分らしく生きてきた自らの姿を、卒業生が生き生きと具体的に語ってくださるのです。毎年講話の最後は満場の拍手。終了後は、卒業生の控室へ質問に訪れる生徒も多く見られます。

移り変わる時代のなかで

 墓参から戻ったJ1の生徒と卒業生の講話を聞いたJ2以上の生徒は、日誌に記されているのと同じ、校章の焼き印がついたお祝いの紅白まんじゅうを受け取って帰宅します。
 140周年の創立記念日には、校章のついた銀色のブックマーカーや校舎・講堂の写真がデザインされたブックカバー用紙も配られました。昨年は、紅白まんじゅうの製造を請け負ってくださっていた元町の和菓子屋さんが惜しまれつつ閉店。長年のお働きに深く感謝するとともに、時代の移り変わりをふと感じさせられる創立記念日となりました。クラス日誌で当時の生徒が希望していたように、記念品がおまんじゅうからタオルに変わる話は今のところないそうですが、いつかそんな日が来るのかもしれません。

一九六八(昭和四三)年五月三一日のクラス日誌

礼拝・司会 フラハティ先生
讃美歌   (三五四・五四二)
聖書
ピリピ(二・一~一四)
お話
同窓生の方(大正十年御卒業)
欠席
○○さん
遅刻
○○さん、○○さん
早退
なし
感想
お話、ユーモアたっぷりで楽しかった。創立二〇〇年には我々のうちから一人がお話しに来るだろう。(それまで生きながらえるのは誰?)
創立記念日とは何ぞや!校則イハンが最大限に減る日、(毎日創立記念日だったらイハンを取り締る手数がはぶけるでしょうね)
先生が卒業式と入学式と結婚式の次にキレイな日。
記念品 おまんじゅうよりタオルの方がよい。
クラス委員が欠席者の分を汚職(私に責任あり、ゴメンナサイ)
(注=かっこ内はクラス主任書入)
『フェリス女学院100年史』より

横浜外国人墓地への墓参

 フェリス女学院から徒歩約5分の高台に位置する外国人墓地。その歴史は、1854年ペリー艦隊再来の際に事故死した水兵を埋葬したことに始まる。ペリーが埋葬地として「海の見える地」を希望したことから、横浜・山手が選ばれたという。その後も日本で亡くなった外国人の埋葬は増え続け、1861年、外国人専用の墓地に制定。日本の文明開化に関わった多数の著名人の墓もあり、フェリス女学院ゆかりの人物としては、創設者のM.E.キダーをはじめ、J.M.カイパー、J.モルトンなどがここに眠る。異国の地で活躍した外国人たちの最期の安らぎの場は、横浜の情緒あふれる観光名所として今も広く親しまれている。

永年勤続者への言葉 -2012年の広瀬政明先生-

 いつも優しく、ゆったりとしたオーラを発していらっしゃる広瀬先生。
 両利きの手で織り成される究極に見やすい板書は生徒からも大人気です。
 テニス部の顧問で、ギターの弾き語りや似顔絵がお上手なことでも知られる先生は新任の頃生徒に教室に閉じ込められたりしたそうです。
 そんなときも持ち前のお茶目で素敵な笑顔でたくさんの生徒を虜にし続け、今も尚先生の人気は絶えることを知りません。
 そんな先生のリクエストは「おまかせ」というなんとも先生らしいものでしたので…執行部で話し合い、先生のイメージから、青を基調とした落ち着いた感じの花束をご用意させていただきました。これからもダンディーでお優しい広瀬先生でいらしてください。

卒業生講演 -2011年の阿部嘉子さん-

 2011(平成23)年の創立記念日に講演してくださった人類学博士の阿部嘉子さんは、1986(昭和61)年にフェリス女学院中学校卒業後、保護者の転勤に伴い香港のインターナショナルスクールに進学。アメリカの大学に進み、そこで動物考古学を学ばれました。卒業後は青年海外協力隊の考古学隊員としてスリランカで活動。さらに大学院博士課程時代には、南アフリカ共和国での動物考古学研究及び古人類・遺跡発掘活動、シベリアでの民族考古学研究及び発掘活動などに携わり、世界を舞台にご自身の道を切り開いてこられた方です。
 講演では、現地の方々と生活を共にしながら研究する様子をスライドでご紹介くださり、動物考古学の面白さをわかりやすく伝えてくださいました。「いろいろな人生があるのだから何でもやってみよう。」そう生徒たちに感じてもらいたいと語る阿部さん。そのときは回り道に思えたことでも、勉強に限らずフェリス女学院で学んだことすべてが今の自分を形作っていることに改めて気がついたと、ご自身の歩まれてきた道を振り返りながらお話しくださいました。
 現在は企業に勤務され、日本政府の発展途上国援助や、JICA技術協力プロジェクトによる環境整備、文化活動などに幅広く関わっていらっしゃる阿部さん。夢を現実にして力強く生きるその姿は、生徒たちの心に深く響いたようです。


永年勤続者の表彰では、心温まる生徒会長の言葉と共に花束を贈呈。

新緑の外国人墓地に出向くJ1の生徒たち。

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