フェリス歴史の扉

Bookworm 本の虫

校舎・寄宿舎見取図(1875年)

 1875年に山手178番地に完成した校舎・寄宿舎には、ミラー夫妻の居住空間に小さな書斎(Library)があった。どのような本が所蔵されていたかは分からないが、書斎の書物は生徒たちも使用することができたらしい。
 第2代校長ブースは、1883年手狭になった校舎を増築し、さらに1887年には隣接地を購入し南校舎(ヴァン・スカイック・ホール)、西校舎の建築を始めた。Libraryの拡張について具体的な記述はないが、その年の “The Mission Gleaner”( Vol.5,No.1 Nov.-Dec., 1887)には、「フェリス・セミナリーの増築」のことと「C.E.ベア夫人がフェリス・セミナリーのLibraryに多数の本を寄贈」したという記事が掲載されている。それに対して日本からはM.リーラ・ウィンが日本からの報告の中で、楽しい本を寄贈してくれたことに謝意を表し、“O Kashi San, our “book-worm”, has been enjoying it. ”と付け加えている。
 この“O Kashi San”とは、大川甲子かし(若松賤子)のことで、『小公子』の翻訳を通して言文一致体の美しい日本語表現を開拓したことで知られる。1886年にアメリカで出版されベストセラーになった “Little Lord Fauntleroy” がフェリスのLibraryに収められ、その翻訳が『女学雑誌』に掲載されたのは1890年からであるから、甲子がこの本を手にしたのは、まさにこの頃かもしれない。情報も少なく海外渡航経験のなかった彼女が、これほどまで卓越した翻訳ができたのはなぜか。宣教師と共に暮らし、英語だけではなく外国文化も直接学び、図書に囲まれ「本の虫」になれたフェリスでの環境が大きく影響していたのだろう。
 甲子だけではなく、多くの生徒たちが本の世界の中で想像を膨らませ、未知の世界に羽を広げていたのである。

(歴史資料館)

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