フェリス歴史の扉

関東大震災から100年 カイパー校長殉職100年

 第3代校長ジェニー・M. カイパーは関東大震災で殉職し、今年は没後100年の節目を迎えた。1923年9月1日、校務にあたっていたカイパーは震災に遭い、倒壊した校舎の下敷きになった。職員が助け出そうとしたが、元町で起きた火事が山手まで到達。カイパーは人々に早く逃げるよう指示し、「みこころをなしたまえ」と祈りながら殉職したとされている。この痛ましい最期は人々に記憶され、「For Others」を象徴するものとして伝えられている。
 現在、資料館で開催している特別展示「A Memorial ジェニー・M. カイパー 関東大震災から100年」では、彼女の生涯とフェリスに与えた影響について紹介している。展示の準備を進める中で新たに見つかった資料のひとつに、1923年3月の卒業式での式辞がある。

I bid you God-speed upon the voyage of life, desiring for each one of you this one thing --- life, full, joyous and strong, found through losing it in service to others.
皆さん一人ひとりに、一つのことを――他者に仕えることにより失うことで見出される充実した喜ばしい力強い人生を――願いつつ、皆さんの人生の航海に神様のご加護を祈ります。

 校長として在職した期間は1年にも満たなかったが、生徒たちに他者に仕えることを訴えていたことがわかる。
 その頃のカイパーの印象を、同窓生で教員であった佐藤哲子は「実に信仰の篤い真面目な頭脳の明晰な方」であり、「襟を正さねばならぬ様な厳格な所」があったと書き残している。一方で、1915年にアメリカにいる姉たちに送った手紙には、夕食後にイチゴを食べたことや、お気に入りの緑のドットのドレスなどファッションについても書き綴っていて、生徒たちには見せなかった人間味のある一面を知ることができる。
 没後100年の今年、カイパーの一族であるホリー・カイパーさん、サミュエル・カイパーさんご家族が相次いで来訪した。外国人墓地にあるカイパーの墓をお参りし、歴史資料館やカイパー記念講堂を見学された。お二人とも事前にカイパーについて調べておられ、資料館が把握していなかった新たな資料をご寄贈いただいた。ホリーさんはフロリダの小学校の教員、サミュエルさんはワシントンの高校の日本語教員を務めているとのことで、カイパーと同じ仕事に就いていること、そしてカイパーがフェリスにとって大切な存在として伝えられていることに深い印象を受けておられた。

(歴史資料館)

ページトップへ戻る

© FERRIS JOGAKUIN All Right Reserved