フェリス歴史の扉

専検指定ーキリスト教学校としての模索

英語専修科生徒とA.オルトマンス、岩佐琢蔵、1924年

 1899年、フェリスは同年公布された「私立学校令」に基づく各種学校として認可された。宗教教育ができなくなる高等女学校ではなく、学校体系の外にとどまることを選んだものである。岩佐琢蔵らは英語師範科を設置し高等女学校卒業者を受け入れることによって、高等女学校以上の学校であることを世間に証明しようとした。それを機に「英語のフェリス」の評判が高まったが、フェリスを卒業しても専門学校(旧制、現在の単科大学に相当)などの上級学校に進学することができず、中等教員検定試験受験資格も得ることができなくなり、生徒に不利益が生じてきた。
 1923年の関東大震災で甚大な被害を受けたフェリスは、校舎の再建と共に懸案の専門学校入学者検定規程(以下専検規程)指定を受けるための申請を行い、1927年7月に指定された。これにより、フェリスの卒業生は「修業年限四年ノ高等女学校卒業者」と同等とみなされ、進学の道が拓かれることになった。しかし、指定に当たり聖書や英語の授業数を減らし、理科・家事・裁縫などを増やすことが求められるなど、失うものも多かった。
 国立公文書館に保存されている「専門学校入学者検定規程上中学校高等女学校ト同等指定」という綴りに収められているフェリスの認可申請関係文書は、すでに資料集第2集『近代女子教育 新学制までの軌跡』に収録されている。申請書には目的、名称及位置、沿革、学則、設立者ノ略歴、学校長ノ履歴並ニ教員ノ氏名資格学業経歴担任学科及専任兼任ノ区別、現在生徒ノ学年及学級別員数、卒業者ノ員数及卒業後ノ状況、経費及維持ノ方法、教科書目録、資産目録、理事会規定、同窓会規則など細かく掲載されており、どのような授業を行い、どのように運営されていたかなど、当時のフェリスを知るための貴重な資料となっている。関東大震災で全てを失い、学校の存続も危ぶまれた時期からわずか4年の間に、学校の体制を立て直し、新校舎の建築を進めながら、生徒により高いレベルの教育を行うため多くの参考書、地図などの教育掛図、実験器具などの教具、博物標本・模型、校具を準備し申請に臨んだ当時の教職員の奮闘ぶりが想像できる。専検指定校になることによりフェリスは、さらに優秀な生徒を世の中に輩出していった。

(歴史資料館)

簿冊「専門学校入学者検定規程上中学校高等女学校ト同等指定」(国立公文書館所蔵)

簿冊「専門学校入学者検定規程上中学校高等女学校ト同等指定」(国立公文書館所蔵)

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