フェリス歴史の扉

創立80周年記念事業

立案委員会資料と80周年記念祝典記録

 校舎の返還、新教育制度導入、宜教師の帰任など戦後復興が進む1950年、フェリスは創立80周年を迎えた。前年、準備委員会が組織され、会長に石橋近三理事長、副会長に都留仙次学院長と宮代彰奨学会長を任命、さらに立案委員が理事会、同窓会、PTA※、ミッション、職員の代表から選ばれ、80周年記念事業の計画を立てていくこととなった。歴史資料館所蔵資料に「立案委員会議題」という一綴りがある。最初の立案委員会で挙げられた記念事業候補を要約すると、(1)フェリス後援会設置、(2)創立80周年記念歌を作る、(3)社会的に奉仕できることを行う、(4)独立した図書館を設立、(5)六十年史の重版、八十年史編纂、(6)営繕工事を完成させる、(7)シェーファー元校長、ステゲマン前校長を名誉校長に推挙し、ミッション代表として招待する、(8)奨学金制度を作る、(9)教育関係功労者に対する表彰、(10)皇后陛下、秩父宮妃、高松宮妃を招待する、であった。回を重ね検討が続けられ、見送られたり、形を変えたりしながら準備が進められた。
 (1)は組織されることなく、記念募金として行われ、後援会としては1995年の維持協力会へ繋がっていくことになった。(2)記念歌は新しい校歌制定となったことは周知のことであろう。(3)社会的に奉仕することは、一般向け講座を設置することを模索したが実現することなく、その精神は大学の市民講座、生涯学習へと引き継がれている。(4)独立した図書館は建てられなかったが、PTA、同窓会員に対して蔵書及び図書購入のための寄付を依頼し、所蔵図書の充実が図られた。(5)記念刊行物は、『苦難より再建ヘ フェリス女学院財団史』を刊行し配布した。(6)日本海軍、アメリカ軍の接収で傷んでいた校舎の修復は概ね終わっていたが、1950年5月に寄宿舎が焼失したため、新しい寄宿舎・校長住宅を竣工させた。(7)両氏は名誉校長推挙を受諾されたが、来日は実現できなかった。ミッション代表として日本、沖縄、フィリピン担当のデマーグ氏が出席した。多くの卒業生には思い出深い歴代校長ほか12氏の写真が入った額は同窓会から寄贈され、カイパー記念講堂前に飾られた。
 御殿場・ニの岡山荘で交流のあった秩父宮妃は、非公式ではあるが式典に出席され、展覧会やページェントもご覧になった。資料館第3展示コーナーには、式典後に撮影された記念写真が展示されている。満面の笑みで新しい時代を迎えた喜び、パワーを漲らせ、道にまで溢れている生徒、教職員、秩父宮妃、来賓等が写っている。
 抑圧された戦時下をくぐり抜け、敗戦から立ち上がり、生徒も教師も理想に胸を膨らませて歩みだした時代に迎えた創立80周年は、新しい門出にふさわしい記念の時となった。

(歴史資料館)
※当時奨学会とは別にPTAが組織されていた。

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