フェリス歴史の扉

卒業式のガウン ~宣教師の温かき思い~

1952年短期大学家政科卒業写真

 卒業式は学校生活にとって大きな節目となる行事である。フェリスでは卒業式は常に礼拝の形式に従って行われてきている。戦時下では制約はあったものの、創立以来一貫してミッションスクールらしさは持ち続けてきた。
 そんな卒業式の服装は、中高は制服だが、大学では「ガウンと角帽」で臨んでいる。最近は卒業式にガウンを着用するという大学は増えている。しかし、フェリスでのガウン着用の歴史の始まりは60年以上前に遡る。
 かつて資料室に宣教師ミス・ザンダー所有といわれるガウンが保存されていた。残念ながら虫食いで生地は紙のようにボロボロとくずれ落ちるようになり、止む無く廃棄せざるを得なかった。だが、これはアメリカの友人に「中古でいいから」と彼女が手紙で依頼し取り寄せた貴重な1着だったのだ。
 ミス・ザンダーは1930年にフェリスに赴任、英語や体操を教えていた。1940年日米関係の悪化により帰米したが、戦後1947年フェリスの復興を支えるために、自分の荷物を減らしタイプライター10台とローラースケートを持ち、いち早く帰任した。食料も自由に手に入らず、日々の衣服を整えるのにも人々が苦労していた時代、彼女は卒業式での教員たちの服装を案じて、1950年に中古のガウンを取り寄せたのである。その年の卒業式には間に合わなかったが、いずれ教員だけでなく学生にも着用してもらうつもりだとガウンを送ってくれた友人に彼女は手紙を書いている(ヘレン・ザンダーからヘレン・カード宛の手紙、1950年3月22日付)。それはまさに短期大学が創立された年だった。
 ミス・ザンダーはガウンと角帽をほどき型紙を作成、日本では手に入らない生地を入手するため、自ら「PX」(進駐軍専用の店)に赴き調達してきた。裁縫担当教員の三浦てつ子の指導で家政科の学生が夜なべしてみんなのガウンを縫い上げ、1952年の短期大学第1回卒業式には全員がガウンを着用し臨むことができた。
 以後、毎年学生数の増加に対応して家政科が中心となってガウン制作が続けられ、学院による保管貸出のもとガウンが正装として定着することになった。しかし、高度経済成長期を迎えガウンは学生の手作りから業者委託となった。1977年3月の卒業式では、これまでよりも着丈が若干長い真新しいガウンを全員が身に着けている。なお、その前年の卒業式後に学生手作りのガウンはくじ引きで希望した卒業生に配られた。今でも思い出の品として大切に持っていると、その年の卒業生が語っている。
 戦後日本の軌跡とともに、フェリスの教育を生み出し支え続けた宣教師の思いが、ガウンにこめられていることを覚えておきたい。

1952年頃のガウン

1952年頃のガウン

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