フェリス歴史の扉

フェリスの英語教育

 フェリス女学院草創期の授業は、和漢学を別にすれば、アメリカから取り寄せた教科書を用いて、英語で行われていた。
 1885年に入学し、後に副校長まで務めた林貞子は、「地理や歴史は勿論、倫理、論理も、家政も、生理も、動物も、植物もありとあらゆる学課は、皆英語でやられるのでした」と『フェリス和英女学校六十年史』に回想を寄せている。また寄宿舎生活では日常会話は英語が中心で、夜の祈祷後にも教員が部屋を見回り、英語で話していないと「夜分行状点」がひかれる。入学して間もない本科1年生の頃「どうしても言いあらはせぬ時は、手真似を用いました」とあり、英語力の習得には苦労していたことがわかる。学院資料室には林貞子の遺品が所蔵されている。筆記体でびっしりと、しかも丁寧に、聖書の英文が書きこまれている彼女のノートからは、学ぶ意欲に満ちあふれた当時の生徒たちの勉強ぶりがうかがわれる。
 さらにその当時は、本科(現在の高校2年生の学年に相当)を卒業するためには、必ず英文と和文の論文を提出する必要があり、もし「他人の力を借りたる場合には1学年停級」という措置もとられていた。このような環境で学んだ結果、上級生になると英語でペラペラと外国人の方々と会話が出来るようになっていた。貞子は「今私共が少し計り英語で口がきけるのは其苦しみのお蔭であった」と感謝している。

小出そのさん【1911年生まれ】一生ものの英語力

小出そのさん
小出そのさん
(1924年フェリス入学、1930年卒業)

ずっと専業主婦として過ごし英語に接したのはフェリス時代だけ。「若い頃、母が英語が出来るなんて少しも気付かなかったが、一昨年孫の結婚祝いに、美しい発音で〝I hope your happiness〟といいながらメッセージを添書していてとても驚いた」と息子さんは語る。102歳の現在、足は不自由だがホームで優雅に生活、中学生の英語ドリルを日課にされているという。
(2012年12月5日訪問)

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