歴史

フェリス女学院150年のあゆみ

創立期

1870年

(明治3)

メアリー・E.キダー、居留地39番のヘボン施療所で英語の授業を始める

 アメリカ改革派教会から派遣されたメアリー・E.キダーは、日本における女子教育を志し、前年の1869(明治2)年、S.R.ブラウンと共に来日。新潟に赴き、その後横浜に移り、1870(明治3)年9月にヘボン塾を引き継ぎ英語の授業を開始。これがフェリス女学院の始まりである。

創立者 メアリー・E.キダ―

創立者
メアリー・E.キダ―

1875年

(明治8)

山手178番に校舎・寄宿舎落成、フェリス・セミナリーと名付ける

発展期

1881年

(明治14)

ユージン・S.ブース第2代校長就任

 31歳の青年宣教師ユージン・S.ブースが校長に就任。以来41年間にわたり校長を務め、就任時20名足らずの生徒を、退任時には600名までにした「フェリスの育ての親」である。

創立者 メアリー・E.キダ―

ユージン・S.ブース

創立者 メアリー・E.キダ―

吉浜橋から見た校舎
(横浜開港資料館所蔵)

1882年

(明治15)

学則を制定し全国に配布する

1888年

(明治21)

地下水を汲み上げる風車完成

 安全で豊富な水を供給するため、ポンプで井戸水を汲み上げる風車も備え付けた。そして、生徒の健康に留意し、いち早く校医をおき健康診断を制度化した。

1889年

(明治22)

校名「フエリス和英女学校」とする

 ヴァン・スカイック・ホールが完成し、礼拝や学校行事のみならず、ゲーテー座と並ぶ山手地区の文化センターとして多くの人々に利用されるようになった。寄宿学校としての設備・内容ともに充実したフェリスは、緑の丘の上に建つ「赤い校舎と風車の学校」として知られるようになった。

1899年

(明治32)

「私立学校令」により認可

1907年

(明治40)

校旗制定
教師、卒業生及び在校生の会「白菊会」結成

震災、そして復興

1922年

(大正11)

ジェニー・M.カイパー第3代校長就任

創立者 メアリー・E.キダ―

灰燼に帰した校舎

創立者 メアリー・E.キダ―

ジェニー・M.カイパー

1923年

(大正12)

関東大地震により校舎倒壊焼失、カイパー校長殉職

1924年

(大正13)

ルーマン・J.シェーファー第4代校長就任

 直ちに校舎復興計画を立て、同窓会、保護者会、横浜市民、アメリカの信徒や、ミッションの人々などを巻き込んだ募金活動を展開した。

「標準服」を改良し「制服」を決定、翌年6月より全校生徒着用

創立者 メアリー・E.キダ―

ルーマン・J.シェーファー

創立者 メアリー・E.キダ―

新校舎

1927年

(昭和2)

「専門学校入学者検定規程」による指定認可

1929年

(昭和4)

新校舎(旧1号館)・カイパー記念講堂竣工

 シェーファー校長の「Straight, Truthful, Solid, Beautiful」という建築理念で多くの人々の信仰と誠意が凝結した新校舎が竣工した。その講堂は「カイパー記念講堂」と命名され、RCA婦人伝道局のエリス・ヒルから寄贈されたステンドグラスが飾られた。そのステンドグラスは現在のカイパー記念講堂に引き継がれている。 

苦難の時

1935年

(昭和10)

ヘンリー・V.E.ステゲマン第5代校長就任

 日米関係が悪化する中、ミッションスクールへの風当たりが強まり事態の処理にあたった。緊迫する時局の中で「日本に建てられている学校は、日本人によって教育指導されるべき」という理由で辞任した。

ヘンリー・V.E.ステゲマン

モンペ姿の生徒

1940年

(昭和15)

都留仙次、日本人初の校長就任

1941年

(昭和16)

校名を「横浜山手女学院」に変更、宣教師団帰国

 学友会は報国団に改編、金属供出、御真影の奉戴、英語授業の縮小など次々と戦時協力体制が打ち出されていった。学徒勤労動員も1942(昭和17)年5月に出動したのを皮切りに、1943(昭和18)年からは3年生以上の生徒が交代で陸軍兵器補給廠田奈部隊や森永食糧工場、帝国通信などにたびたび出動する。

1944年

(昭和19)

校舎を日本海軍に貸与

 授業は寄宿舎で細々と続ける。

1945年

(昭和20)

敗戦 進駐軍校舎使用(翌年まで)

戦後教育体制

1947年

(昭和22)

新学制による中学部設置(3年)。専門学校設置(英文科・家政科・音楽科)
翌年に高等学部(3年)を設置

校歌

1950年

(昭和25)

校名を「フェリス女学院」と改称
専門学校を短期大学(英文科・家政科)に改編、翌年に音楽科開設
創立80周年を記念して現在の校歌制定

 80周年を記念して現在の「校歌」を制定した。作詞はフェリスの中等部から東京女子大学に進み、母校の国語の教師となっていた英康子、作曲は専門学校音楽科の講師を務めていた團伊玖磨。

大学開設以降

1965年

(昭和40)

大学開設〈文学部 英文学科・国文学科(現英語英米文学科・日本語日本文学科)〉

 戦後経済の発展と共に4年制大学を目指す女子が増加。100周年までにフェリスを4年制大学を備える学院に発展させたいという機運が高まり開設に至った。

大学 山手校舎

創立100周年式典

 

1970年

(昭和45)

創立100周年

 100周年記念事業として大学校舎・研究棟、体育館、短期大学音楽棟・家政科別館、中高の旧体育館など増改新築を完了し、盛大な記念祭が行なわれた。「フェリス女学院の歌」(作詞:佐藤東洋麿、作曲:中田喜直)が発表された。

1983年

(昭和58)

同窓会が「白菊会(中高)」「りてら(大学)」「短期大学(りべるて(家政科)・Fグループ(音楽科))」に分かれて独自の活動を始める

更なる発展

1988年

(昭和63)

短期大学家政科を発展改組し、大学文学部国際文化学科開設
緑園キャンパス開設

緑園キャンパス

フェリスホール

緑園7号館・図書館棟

新カイパー記念講堂

中高 新体育館

中高 新2号館

1989年

(平成元)

音楽学部開設〈声楽学科・器楽学科(現演奏学科)、楽理学科(現音楽芸術学科)〉
フェリスホール完成

1990年

(平成2)

短期大学廃止

1991年

(平成3)

大学院開設〈人文科学研究科修士課程〉

1995年

(平成7)

大学院人文科学研究科博士課程開設

1997年

(平成9)

大学国際交流学部開設

1998年

(平成10)

大学院音楽研究科開設〈修士課程〉

2001年

(平成13)

大学院国際交流研究科開設〈博士課程〉
緑園7号館・新図書館棟完成(130周年記念事業)

 大学文学部3・4年次が山手キャンパスから緑園に移り、大学の管理運営機能も緑園に統合された。

2002年

(平成14)

山手新1号館・新カイパー記念講堂竣工(130周年記念事業)

2004年

(平成16)

大学文学部コミュニケーション学科開設

2005年

(平成17)

大学緑園体育館竣工

2012年

(平成24)

山手8号館竣工

2014年

(平成26)

中高新体育館竣工

2015年

(平成27)

大学開設50周年
中高新2号館竣工

2017年

(平成29)

大学全学教養教育機構(CLA)開設

2020年

(令和2)

創立150周年

※150周年記念事業はこちらをご参照ください。

 フェリス女学院は、現在、学校法人のもと中学校・高等学校、大学3学部(文学部、国際交流学部、音楽学部)と大学院を有し、また、それらの卒業生は、中高「白菊会」、家政科「りべるて」、文学部・国際交流学部「りてら」、音楽学部「Fグループ」に組織されている。
 中高の生徒と大学音楽学部の上級学生が学ぶ山手と、大学の主体がある緑園にキャンパスを有している。
 ともに150年に及ぶキリスト教と女子教育の伝統を受け継ぎ、建学の精神の実現を目指し、更なる教育活動の充実と社会への貢献を図っている。