創設者メアリー・E・キダー

創設者メアリー・E・キダー

メアリー・E.キダー
Mary.E.Kidder(1834~1910)

1869年S.R.ブラウンとともに、アメリカ改革派教会外国伝道局の命をうけ、日本への最初の独身婦人宣教師として35才の時、来日。1870年、居留地39番のヘボン塾(クララ夫人が教える)を引き継ぎ、英語の授業を始めました。
1873年、9才年下の長老派宣教師のローゼイ・ミラーと結婚した後も、キリスト教布教と女子教育をおこなう事を希望していたキダーは1875年に山手178番に寄宿校舎を新築し、夫ミラーともに学校運営にあたりました。
1881年、フェリスセミナリーを辞してからは、夫とともに盛岡など日本各地で伝道に従事しつつ、月刊キリスト教誌『喜の音』等の編集・発行にあたりました。晩年は癌とたたかい、1910年6月に、その生涯を閉じました。

フェリス博士父子

アイザック・フェリス
Isaac Ferris(1798~1873)
「フェリス」とは創立者キダーを日本に派遣したアメリカ改革派教会外国伝道局総主事の名です。アイザックは東洋伝道に力を入れ、幕末、ブラウン、フルベッキ等の宣教師・学者を日本に送り、近代化の推進に 「フェリス」とは創立者キダーを日本に派遣したアメリカ改革派教会外国伝道局総主事の名です。アイザックは東洋伝道に力を入れ、幕末、ブラウン、フルベッキ等の宣教師・学者を日本に送り、近代化の推進に貢献しました。

ジョン・フェリス
John M. Ferris(1825~1911)
アイザック・フェリスの息子ジョンは、キダーを派遣すると共に、米国への日本人留学生のために尽力し、日本の発展を陰で支えた人物といえます。

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