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王女会~フェリスの奉仕活動~

 草創期のフェリス史には「王女会」、英語では「King’s Daughters」と表記される、おとぎ話に出てくるような言葉が出てくる。この「King」は「神」をさし、直訳すれば「神の娘達」である。この会は当時アメリカの女学校で盛んになっていたキリスト教信仰に基づく人格向上と奉仕の精神育成を目指し、1887年赴任した宣教師ミス・デヨによって、フェリスに導入されたものである。
 当時は第2代校長ブースのもと、学校運営も軌道にのり生徒数も100人を超え、校内での生徒自身によるキリスト教活動も活発になっていた頃であった。「王女会」では生徒が10人1組の「Ten」とよばれる学年縦割りのグループに分かれ、それぞれグループごとにそのモットーをかかげた。「温言の組 Soft Answer Ten」、「愛の組 Charity Ten」、「平和の組 Peace Maker Ten」、「救助の組 Ready Helper Ten」などの名前をつけ、共に自分たちの属したグループにふさわしい生活を送るよう心がけて活動をしていたようだ。
 当時のフェリスは、小学校高学年にあたる「予科」から高等教育の「高等科」まで幅広い年齢層の生徒たちが学んでいたため、「王女会」は学年の隔てがない集まりで、現在の部活動ともいえる楽しい活動だったのだろう。佐藤哲子(1889年本科/1891年高等科卒業)は次のように思い出を語っている。
 「毎週一度宛各組で集りまして、信仰の修養や手仕事などをして、慈善事業の資を作りました。京濱の他のミツションの女學校にも、此の王女會が組織されて居りましたから、時々、聯合の大會を開きました。此の會に付ては色々楽しい記憶が残つております」(『フヱリス和英女学校六十年史』)
 「王女会」の活動は年々活発になり、その製作品によって得た収入を社会福祉施設への献金にあてたり、宣教師が各所で開催する日曜学校の運営に協力するなど、活動の幅を広げていった。やがて1908年には日本キリスト教女子青年会(YWCA)に吸収され、フェリスの歴史からは姿を消したが、その奉仕活動の精神は現在のフェリス女学院にも刻み続けられている。

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