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フェリス女学院の歩み

新教育体制

 戦後の教育改革の中で、高等女学校は中学校3年・高等学校3年の体制となりました。戦前の高等部は専門学校に昇格し、その後、1950(昭和25)年 短期大学英文科・家政科、翌年 音楽科に発展改組しました。
 1950(昭和25)年、同窓生の強い希望もあって、戦時中「横浜山手女学院」と称していた校名を「フェリス女学院」に改称。創立80周年を記念して現在の「校歌」を制定しました。歌詞は学院関係者から公募した結果、卒業生で国語教師の英 康子の詞が選ばれました。都留学院長を引き継いだ山永武雄学院長は、さらなる高等教育の充実をめざし、4年制大学の設立を強力に推進、短期大学英文科が発展改組して1965年4月大学(文学部)が開設されました。その直後9月の山永学院長急逝を受け、翌66年には中高・短大・大学・事務局の長による部長会議が設置され、学院の新運営体制がスタートしました。中高校舎の復旧と拡充、地方からの学生のための寄宿舎建設、高等教育用の体育館建設や図書館の整備など、種々の課題が山積する事情のなか、各単位の独立、個性化の傾向を強めつつ、それぞれの発展が図られていきました。

新しい校歌

新しい校歌

創立80周年記念演奏会プログラム

創立80周年記念演奏会プログラム

創立80 周年記念写真

創立80 周年記念写真

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