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創設者のメアリー・E・キダーが横浜・山手の地に女子だけの学校を開いて以来、140余年もの間キリスト教の信仰に基づく女子教育を貫いてきたフェリス女学院。女子教育が社会で果たす役割と、フェリス女学院が堅持すべき文化について、実際に現場で教壇に立つ春木良且大学国際交流学部教授、武尾和彦中学校・高等学校国語科教諭のお2人と、大塩武学院長が熱く論じ合いました。(2013年6月)
大塩 私が2年前にフェリス女学院に着任して以来、女子だけを対象とする教育、いわゆる女子教育の社会的意義は何なのかということを常に考えてまいりました。女性が男性と同じ立場に立つことが制度的に保障されたのは、人類の長い歴史で言えばつい最近のことですが、それは男性と同じ立場に立てない女性を制度で意図的に保証しようとした側面がないわけではありません。そのような認識をふまえて女子教育の意義を問われたなら、男性中心の社会関係のなかでは見過ごされてしまうような、女性に備わった人間本来の資質・能力を見出し育むことにあると思います。男性中心の社会的諸関係特有のイデオロギーに拘束されることなく、女性として人間本来のあるべき姿に気付く感性を養い、社会の不条理にも気付ける。そしてそれに立ち向かえる論理と情熱を身につけられることにこそ、女子教育の意義があるのではないでしょうか。
本日は、中高、大学で女子学生・生徒と日々接触されている春木先生、武尾先生のお2人に、ぜひ現場の生の声をお聞かせいただければと思います。
春木 女子教育の社会的意義としては、マイノリティーと向き合うという意味合いが強いと捉えています。社会には同性愛や少数民族など多くのマイノリティーが存在し、宗教や価値観の差異も無数にあります。学院長がおっしゃったように、社会が男性中心である限り女性はマイノリティーであり、性差というものは最も認識しやすく、考えやすく、答えが出やすい差異だと思うのです。国際化が進む現在、社会のマイノリティー・差異とどう向き合っていくのかというのは、誰もが避けて通れない問題です。それらマイノリティーをどのように意識し、社会そのものを捉えていくのか。その答えを見いだす、1つの引き金になりうるのが女子教育ではないでしょうか。
武尾 中高の6年間というのは、生徒自身が非常に大きな変化を遂げる時期です。徐々に自分に与えられた女性という性に気付き、それに向き合っていく。そのために適した環境というのは、人それぞれ異なると思うのです。同性しかいない環境の方が伸び伸びできる人もいれば、異性がいた方が自分の役割に気付きやすい人もいるでしょう。共学、男子校、女子校、それぞれに固有の意義があると、中高の現場を見ていてつくづく思います。女性だけの環境の方が自分を発見しやすいという人がいる限り、女子教育は大きな意義を持つと思います。
大塩 女性だけの環境の方が道を見いだせる生徒とそうでない生徒がいるとして、12歳の生徒がその2つの観点から進路を考えることは難しいように思うのですが、その点はいかがですか?
武尾 確かに、「女子校だから」という理由を第一にフェリス女学院を志望する生徒は少ないかもしれません。入学して女子だけの環境が与えられることによって、結果的に女性としての役割を見つけやすくなっているのだと、経験的に感じます。
大塩 女性だけの世界で女性が人間として自らの役割を見いだしていく、そのプロセスを含めた女子教育の意義を問わなければならないのかもしれません。
春木 大学の場合は、逆に女子大という理由で選ぶ学生が多いと感じます。しかし、大学では社会の中で女性はどうあるべきかを、相対化して考えないといけない。成長過程をサポートする役割を大学は持っていませんから、その意味で中高の女子教育と、大学が考えるいわゆる学問を教授する場としての女子教育の意義は相当違うのだろうと思います。「女性ならではの感性」という言葉は、逆に男性には感性がないのかとか、女性に期待されているのは感性だけなのか、という議論に陥る危険性もはらんでいるわけです。女子大において性差はシンボルでしかないし、共学校出身者も大勢いる中で、社会に出る直前の学生に女子教育をする意義を「女性だから」という点だけに見いだすことはできないと感じています。
大塩 実際に大学や中高の現場で女子教育を行う中で、具体的にどのような意義があると感じていますか?
春木 女子大で学べることとは、差異にあふれた社会の中で自分のアイデンティティーをどう確立していくか、また、他者のアイデンティティーをどう捉えていくかに尽きると思うのです。女子学生が「これは女子好みだよね」というせりふをよく使うのですが、結局女性というものを一般化して捉えることで、他者の価値観を否定することにもなりかねない。ですから大学の女子教育というのは非常にわかりやすい「社会の縮図」の教育であるという気がします。
さらに、女子大というのは「母親」「姉」「妹」「恋人」といった「社会が女性に与える役割」から、解放される場所だと思うのです。女性という性を1つのアイデンティティーとして認識しながらも、それとは異なるアイデンティティーが無数に集まって社会が成り立っているということを学べるのが、女子大の強みであると感じます。
武尾 中高生の場合は「女性ならではの」という感覚をあまり持っていないような気がします。女子しかいないので、「女性特有」という価値観にまだとらわれていないのかもしれません。これは男子の役目、これは女子の役目、という意識がないでしょう。例えば文化祭などで生徒が実行委員会を立ち上げると、リーダーのような一般に男性的な役割と捉えられていることも、もちろん女性的な役割も、すべて生徒たちだけで担っていくわけです。その疑似社会の中で自分がどういう立ち位置にいるのかということは、生徒自身がそれぞれ感じ取っていると思いますし、これも女子校の1つの強みであると思います。
春木 学生の場合、価値観の基準は身近なところから作られますが、女子大の場合、それが大学生一般ではなく、社会一般になります。身近に男子学生がほとんどいない分、広く社会そのものが価値観の基準になっている。ただ、ある程度成熟している場合、「皆がそう思うのだからそうだよね」というゆがんだ価値観が肥大化する危険性があるのが女子大のこわいところです。そこにどうやって異物を取り込み、折り合いをつけるかというところで大学の女子教育の真価が問われると思います。
大塩 社会を見据えるというのは、中高の場合も例外ではないと思うのですがいかがでしょうか?
武尾 中高生はまだ価値観の基準は何かを模索している段階ですから、近い将来社会に出るために、まずは自分を磨いていくということですね。むしろ「女性ならでは」という価値観にとらわれずに、もっと広く、雑多なものの中から自分を見つけていってほしいと思っています。中高は次の学びへの大きな土台造りの時期です。しかしその先にあるのはやはり社会であって、社会を見据えていることに変わりはないと思います。
春木 先ほど武尾先生が「疑似社会」という言葉を使われましたが、中高生の心の中にも明らかに社会は存在していると思うのです。女子校の場合は、それが非常にピュアな状態で保たれている。成長過程において、性差をはじめとする差別意識などの価値観にとらわれない環境で、ピュアな疑似社会を経験できるのは女子教育だからこそです。同性だけの集団で1度疑似社会を経験して、次に異性の集団に移るというのは、ある意味理想的な教育プロセスといえるのではないでしょうか。
大塩 ここまでの議論は女子教育の社会的、一般的な意義を中心としてきましたが、特殊個別のフェリス女学院に即して考えてみたいと思います。140年以上の歴史を持つフェリス女学院が堅持すべき文化とは何なのか、さらにその文化をどう育てていくのか。武尾先生はどうお考えですか?
武尾 フェリス女学院がなぜ女子だけを教育対象にしているかというと、やはりキリスト教学校であるということに立ち返るのだろうと思います。最初期のフェリス女学院で学んだ佐々城豊寿という人物をいつも思い出すのですが、彼女は、婦人矯風会の役員選挙の演説としてこんな一文を残しています。
春木 これまで中高とはあまり接点がなかったのですが、今日お話させていただいて、同じフェリス女学院という場でどう教育の折り合いをつけるのかという部分でだいぶ整理がつきました。
武尾 今日のお話の中で中高と大学の違いが見えてきましたが、その差異の中を貫くものこそが、フェリス女学院の文化といえますね。違いそのものとそれぞれの使命を認識して初めて、1本の柱が生まれるのだと思います。そのことを今日は身に染みて感じました。
大塩 中高と大学がお互いに何をしているのかを知るきっかけにしてほしいという思いでAll Ferrisを提唱しましたが、今日それがかなってうれしく思います。
大学と中高がそれぞれ女子教育をどう捉えているのか、そしてフェリス女学院という場ではそれがどんな形を取っているのかということについては、これからもホームページ等を通して社会に発信します。
学院長 大塩 武(おおしお たけし)
1943年生まれ。早稲田大学商学部卒業、早稲田大学大学院商学研究科博士課程最終単位取得。商学博士(早稲田大学)。明治学院大学では、情報センター長、教務部長、入試センター長、経済学部長、学長を歴任。著書に『日窒コンツェルンの研究』(日本経済評論社)、その他多数。
中学校・高等学校国語科教諭
武尾 和彦(たけお かずひこ)
1959年生まれ。青山学院大学文学部日本文学科卒業。同大学大学院文学研究科修士課程修了。専門は上代文学。1983年よりフェリス女学院中学校・高等学校国語科教諭として勤務。現在、教務部長。授業では主に古典分野を担当。
大学国際交流学部教授
春木 良且(はるき よしかつ)
1956年生まれ。東京大学工学系研究科博士課程単位取得退学。1995年よりフェリス女学院大学。専門はソフトウェア工学、情報化社会論。2013年より大学情報センター長。著書『情報って何だろう』(岩波ジュニア新書)、『ソーシャルグラフの基礎知識』(新曜社)等。
※基礎教養科目は、現代に必要とされる基本的な知識・教養を提供し、社会で生きていくための力(リテラシー)を養成する科目群。総合課題科目は、時代性の高い内容や学際的なテーマを取り上げ、問題意識を養い、それに取り組む力を培う科目群。